最近、精神的にも身体的にもしんどかった。ブログの投稿すら出来なかった。飲み過ぎだった。寝込んだ。病院にも行った。勝手に主治医にも相談した。薬が増えるかな?と覚悟していたのだが、1日1本バナナを食べなさいと、勝手に主治医。僕の薬はバナナだった。今朝もバナナを食べたよ。
あの台風とブラックアウトから一年が経つんだね。最近、やっと近所の倒れた木が駆除されたくらいだけど、一年が経つんだね。
台風が去った朝、愛犬のポンとパトロールに出動した。ゴミステーションがひっくり返り、公園の木は倒れまくっていた。公園の木は大きくても、根が浅い。そんな事を学んだ。あちこち公園ワヤ。こりゃあ林業関係者の人達は大忙しだなって思って見ていた。
そんな事を考えながら、去年9月5日の夜を過ごしていた。そして、深夜にズドンと大地震が現れた。巨大な一発をズドンと打ち込んで来た。その後ややしばらくし、ブラックアウト。僕等は愛犬を車に乗せ、白石警察署へ避難する事にした。車を走らせるのはいいが、街灯も信号も点滅していない。暗闇の中から自転車が飛び出て来る。危険だった。皆、コンビニに向かっていた。
車は皆、譲り合いし、事故を起こさない事に意識を向けていたと思う。僕等も白石警察署にいても意味がない事を理解し家へ戻った。朝になり、家の中の使える電池やモバイルバッテリーなどを集め、音楽で使うライトなどを使える様にした。お風呂に水を貯め、ペットボトルにも水を貯めた。
近所のドラッグストアに行くと長蛇の列だった。店員が付いて一人づつ入店し買い物をするスタイル。万引き防止の処置で作られた、長蛇の例。ドラックストアの隣にある全国チェーンのコンビニは開店しなかった。しかし北海道のコンビニは、停電でも蓄電で稼働するレジをフル活動し開店していた。店内は割れた酒の匂いで充満していた。僕も何を買ったか忘れたけど、レジの店員さんに頑張って下さい。そんな言葉しかかけれなかった。
近所のホームセンターも長蛇の列。店員さんと店内に入るも電池はない。カセットコンロのガスボンベもなかった。店員さん達、そろばん&電卓で頑張ってた。何も買わなかったのかな?何か買った記憶がない。
iPhoneも3Gになり、電話しか使い物にならなくなった。内地にいる友人に電話し検索してもらいたい事があったが、電話は通じなかった。4Gって素晴らしいって思ったよ。
大きな家電ショップの殆どが、スプリンクラー作動による水浸により、開店できない状況に陥っていた。僕に謝って来る店員さんが痛々しかった。あなたも被災者なんだよ、謝らないで。そんな言葉しかかけれなかった。
某ジャスコも空調の動かない店内への入店は危険と判断し、店舗入り口に販売できる商品を並べ、電卓で頑張っていた。それにしても、凄い人集りだったよ。
ガソリンスタンドの行列も凄かった。最初は思いやりもあるのだけど、だんだんと出てくるエゴを日に日に感じた日々だった。
信号が止まってるのに、動き出した地下鉄。琴似駅近辺に車で友人を救出に行ったのだけど、信号が止まってのに人が多くて危険だった。そして、何故か、円山近辺と琴似近辺が停電の復旧に時間がかかっていた。
僕は円山近辺と琴似近辺の友人達を救出に行った。我が家で順番に風呂に入り、携帯を充電し、持ち寄った食材で宴会になった。ストレスもあったしね。
翌日には停電も札幌は全て復旧していたと思う。ほっとしたよね。あのブラックアウトの中でも商売をしなきゃいけなかった仲間達もいた。困ってる仲間達の食材を買う仲間達がいた。仲間って大事だと再確認した。素晴らしいよ。
新千歳空港も大変だったよね、今もあの景色は忘れられない。みんな誰かの為に知恵を絞って行動していた。助け合うって事を再確認した。
でもね、懐中電灯とラジオにローソクの生活でね、忘れていた自分にも出会ったよ。どこででも生きて行けるであろう自分にね。
多くの人達が亡くなった、北海道胆振東部地震。去年、あの数日間で見た事、学んだ事を僕は忘れない。北海道は広いから被害レベルも地域によって違った。感覚も違った。人間がコントロールできない大地の上に僕等は暮らしているって事を僕は、再度学んだ。
今夜から明日にかけて、多くの人達が手を合わせるであろうし、あの日を思い出すだろう。全ては一瞬にして消えてなくなる事も、北海道の上で暮らす僕等は学んだ。
あの日を忘れないで生きて行きます。
今日も最後まで読んでくれて、イヤイライケレ〜
ToyToy
あの台風とブラックアウトから一年が経つんだね。最近、やっと近所の倒れた木が駆除されたくらいだけど、一年が経つんだね。
台風が去った朝、愛犬のポンとパトロールに出動した。ゴミステーションがひっくり返り、公園の木は倒れまくっていた。公園の木は大きくても、根が浅い。そんな事を学んだ。あちこち公園ワヤ。こりゃあ林業関係者の人達は大忙しだなって思って見ていた。
そんな事を考えながら、去年9月5日の夜を過ごしていた。そして、深夜にズドンと大地震が現れた。巨大な一発をズドンと打ち込んで来た。その後ややしばらくし、ブラックアウト。僕等は愛犬を車に乗せ、白石警察署へ避難する事にした。車を走らせるのはいいが、街灯も信号も点滅していない。暗闇の中から自転車が飛び出て来る。危険だった。皆、コンビニに向かっていた。
車は皆、譲り合いし、事故を起こさない事に意識を向けていたと思う。僕等も白石警察署にいても意味がない事を理解し家へ戻った。朝になり、家の中の使える電池やモバイルバッテリーなどを集め、音楽で使うライトなどを使える様にした。お風呂に水を貯め、ペットボトルにも水を貯めた。
近所のドラッグストアに行くと長蛇の列だった。店員が付いて一人づつ入店し買い物をするスタイル。万引き防止の処置で作られた、長蛇の例。ドラックストアの隣にある全国チェーンのコンビニは開店しなかった。しかし北海道のコンビニは、停電でも蓄電で稼働するレジをフル活動し開店していた。店内は割れた酒の匂いで充満していた。僕も何を買ったか忘れたけど、レジの店員さんに頑張って下さい。そんな言葉しかかけれなかった。
近所のホームセンターも長蛇の列。店員さんと店内に入るも電池はない。カセットコンロのガスボンベもなかった。店員さん達、そろばん&電卓で頑張ってた。何も買わなかったのかな?何か買った記憶がない。
iPhoneも3Gになり、電話しか使い物にならなくなった。内地にいる友人に電話し検索してもらいたい事があったが、電話は通じなかった。4Gって素晴らしいって思ったよ。
大きな家電ショップの殆どが、スプリンクラー作動による水浸により、開店できない状況に陥っていた。僕に謝って来る店員さんが痛々しかった。あなたも被災者なんだよ、謝らないで。そんな言葉しかかけれなかった。
某ジャスコも空調の動かない店内への入店は危険と判断し、店舗入り口に販売できる商品を並べ、電卓で頑張っていた。それにしても、凄い人集りだったよ。
ガソリンスタンドの行列も凄かった。最初は思いやりもあるのだけど、だんだんと出てくるエゴを日に日に感じた日々だった。
信号が止まってるのに、動き出した地下鉄。琴似駅近辺に車で友人を救出に行ったのだけど、信号が止まってのに人が多くて危険だった。そして、何故か、円山近辺と琴似近辺が停電の復旧に時間がかかっていた。
僕は円山近辺と琴似近辺の友人達を救出に行った。我が家で順番に風呂に入り、携帯を充電し、持ち寄った食材で宴会になった。ストレスもあったしね。
翌日には停電も札幌は全て復旧していたと思う。ほっとしたよね。あのブラックアウトの中でも商売をしなきゃいけなかった仲間達もいた。困ってる仲間達の食材を買う仲間達がいた。仲間って大事だと再確認した。素晴らしいよ。
新千歳空港も大変だったよね、今もあの景色は忘れられない。みんな誰かの為に知恵を絞って行動していた。助け合うって事を再確認した。
でもね、懐中電灯とラジオにローソクの生活でね、忘れていた自分にも出会ったよ。どこででも生きて行けるであろう自分にね。
多くの人達が亡くなった、北海道胆振東部地震。去年、あの数日間で見た事、学んだ事を僕は忘れない。北海道は広いから被害レベルも地域によって違った。感覚も違った。人間がコントロールできない大地の上に僕等は暮らしているって事を僕は、再度学んだ。
今夜から明日にかけて、多くの人達が手を合わせるであろうし、あの日を思い出すだろう。全ては一瞬にして消えてなくなる事も、北海道の上で暮らす僕等は学んだ。
あの日を忘れないで生きて行きます。
今日も最後まで読んでくれて、イヤイライケレ〜
ToyToy