今朝、雪かきの準備をし、玄関を開けると、真っ白な絶望的な世界が待っていた。7時半に雪かきスタート10時半まで頑張ってしまった(涙)あっちゃこっちゃで車がスタックしてるからね、今日は病院を2件ハシゴする予定だったけど、家でじっとしてます。
はてさて、我が家の勝手にシャーマン。この勝手にシャーマンと僕の母親はドンパ(同い年)なので僕が生まれた時から、この勝手にシャーマンは僕の事を知っている。
子供の頃はもじゃもじゃ頭もちっこいおじさんって感じだった。僕の遠い親戚のアイヌのエカシ(お爺さん)の聞き取り調査などもしていた。
僕とこの勝手にシャーマンとはしばらく心の距離が遠く離れていた。その心の距離がぐっと近づいたのは、2005年に公開された、北の零年と言う映画の撮影で使うアイヌの家(チセ)などの製作の仕事した時だった。
夕張の民宿に東映スタッフと共に寝泊まりする共同生活。毎日僕は勝手にシャーマンにくっついて、いろんな事を学んだ。毎晩、いろんな話を聞いて吸収した。
そんな生活をしていたら、勝手にシャーマンは僕を見抜いて来た。なんでも大事な仕事は僕に任せて来た。凄く楽しい日々だった。
しかし、この勝手にシャーマンは朝が弱い。そして機嫌が悪い。朝に何か問題が起きると、全部、僕のせいにして来て厄介だった。
そしてやたらと東映スタッフと喧嘩するのです。吉永小百合がアイヌの事は本物に拘って欲しいってリクエストだったので、本物のチセを昔のやり方で建てたのです。釘も使わないでね。
すると、東映スタッフがこれではカメラが入らないって言い出して、壁を壊してカメラマンを入れたいって言い出して、勝手にシャーマンと東映スタッフの大喧嘩。
笑いあり、喧嘩ありの日々だった。それから、何かあると僕は勝手にシャーマンに相談する様になった。
自殺した姉の鬱病が酷い時も勝手にシャーマンの所へ連れて行った。母親の事でも相談した。何せ僕の家族の事は大体知っていてくれているから。
息子を亡くして落ち込んでいる友達の所へ、一緒に行ってもらった事もある。イタコさんみたい事をしてくれた。その時、食事が振る舞われたのだが、勝手にシャーマンは肉は食べないのですって言ってたんだけど、帰りに蕎麦屋でカレー蕎麦を食ってた。カレー蕎麦に肉は入ってるだろって言わなかったけどね。
そして、この勝手にシャーマンは宴席でも突然、イントロなくスイッチが入ってイタコ状態になる。たいていの人は気付かないんだけど、スイッチが入ると座り方が変わる。
そんな時は僕はいろんな事を聞く。周りの人達は気付かない。だって焼酎のビックマン呑んでるシャーマンなんて気付かないよね。酔っ払いと思われてると思うよ。
僕にとっては父親の様で母親の様な、この勝手にシャーマン。何年か前に僕の自殺した姉のイチャルパ(供養)を僕の家でしてくれていた。家に帰ると供物がいっぱいあった。
僕はいなかったけど、凄く嬉しかった。僕も僕なりのやり方で供養したのだけど、暫くしてから、かなりのクエスチョンが降って来た。
なぜ、イチャルパをする事を僕に教えなかったのか?なぜ、僕がいない時にイチャルパをしたのか、なぜ、僕に教えなかったのか?そう考えたら頭からツノが生えそうだったよ。
まぁね、勝手にシャーマンといるといろんな事が起きるのです。しかし、この勝手にシャーマンは自分が霊的な人間である事は人には言わない。わかる人にはわかるってだけ。多くの人達のまえでは隠している。
僕が知ってるアイヌの婆ちゃん達もシャーマスティックな自分をいつも隠して生きていた。わかる子には教える、わからない子には教えない。そんな感じだった。
そして、勝手にシャーマンが誰かにこう言っていたらしい。基はこの時代にアイヌの精神を持って生まれて来たから可哀想だってね。おい!勝手にシャーマン!可哀想ってなんだよ!可哀想って!そう言う事は俺に直接言えよ!
もう何年も会ってない、勝手にシャーマン。そろそろ会いに行くよ。
今日も最後まで読んでくれて、イヤイライケレ〜
ToyToy