ToyToy屋

先人達とお盆

正直言って、僕はお盆が苦手だった。今もかな?お盆を楽しんでる人達が羨ましい。どうしようもなく落ち込んだりする。去年はお墓詣りも逃げた。毎年、苦しいのに、お墓詣りに行っていた。実の家族とも縁を切ったので本家も何もない自分。だったらお墓詣りも行かなくていいのにね。何で苦しみながらお墓詣りに行っていたのだろうか、昨日、答えをもらった。

平成四年から五年にかけて、全道的にされたかは分からないけど、僕のルーツの墓地ではアイヌの骨を掘り起こし、ガスバーナーで焼き消毒し、バケツに入れた状態で、アイヌ無縁仏納骨堂に収められた。

まだ二十代前半の僕は目の前でユンボで掘り起こされ、ガスバーナーで焼かれ、バケツに入れられる先人達を僕は目の当たりにした。作業員は全員地元の人。手首には数珠が付けられていた。とても苦しい仕事をしている、叔父さん叔母さん達。これも仕事。生きて行くための仕事だった。

墓地改正法だったかな、うる覚えだけど。ある日突然、僕のルーツの墓地にある、アイヌの墓標に赤い紙が巻けれた。紙には墓標の親族は役場に何月何日までに親族だと届出を出して欲しい。そんな事が書かれていたと思う。

しかし、昔のアイヌはお墓詣りをしない。お墓に行っては行けないと言われ育った人達。勿論、役場への届出は少なかっただろう。届出があったアイヌの墓標は掘り起こさない。届出のなかった墓標は全て掘り起こし、アイヌ無縁仏納骨堂に入れられるとの事だった。

村のフチ(婆ちゃん)達も墓地の話はタブー事ではあるが、止められない事で、墓地の話はしない。暗黙のルールを誰しもが守っていた。そうだよね、小さい村の中で生きて行くって事は、そんな事でもある。

そして墓地の178体の遺骨が掘り起こされ、納骨堂へ納められた。僕は初めて言葉にならない怒りと恐れを感じた。そして涙も出なかった。

アイヌ無縁仏納骨堂の横でイチャルパ(先祖供養)が行われた。僕も勿論参加した。言葉にならない重たいイチャルパだった。でも先人達を喜ばせ様と、皆、祈り唄い踊り、墓地を後にして行った。

そんな事があって、僕はどうしても、お盆が好きになれなかった。アイヌ無縁仏納骨堂の前に立つと、お墓詣りに来た人達の視線が、僕はやたらと気にかかる。恥ずかしい事じゃないのにね。アイヌ無縁仏納骨堂の前で一人にいつもなりたかった。墓地の中で一人になりたかった。そんな事、お盆には無理な事だけど。

でもね、昨日はどうしても行きたくて、アイヌ無縁仏納骨堂へ自分の意思で車を走らせた。明るい内に到着したかった。いつも夕方に着いてたからね。

到着後、自分に出来る範囲でアイヌプリ(アイヌの仕来たり)で供養を始めた。明るい内に来れて良かったよ。納骨堂の内部をガラス越しに撮影できた。昔はお盆の時期だけ、納骨堂の扉は開いていたのだけど、今はもう開かない扉になってしまった。

でもね、メッセージを受け取った。お前の怒りを収めろと、メッセージを受け取った。そうだよなって腑に落ちた。怒る事より許す事の方が何倍も難しい事だから。何か試されてるなって思いながらも腑に落ちた。

僕は恐れでも恨みでもなく、共存して行きたいっていつも思い生きているのにね、僕のルーツの根本に怒りを残したままだった。そんな自分に気付けたよ。

もう苦しい歴史は繰り返さない。僕が繰り返さなければいいって事。僕は根本の怒りをやっと解放した。許すとかそんな事じゃないけど、僕は先人達の事を思い過ぎて、自分を傷付けていた。そんな事に気付いた。先人なんて曲も書いてるのにね、今まで気付かずに自分を傷付けてきたんだね。

なんかね、スッキリしたよ。恨みや憎しみ、そして怒りは健康的じゃないね(笑)先人達がまた僕を前向きにさせてくれた。さて、やりたい事を本気でやって先人達を安心させましょう!

*今日の、このブログを日本や北海道の否定のために使う事は控えて下さい。あくまでも、僕個人のブログですので、宜しくお願い致します。

いろいろと考えたよ


掘り起こされた墓地


無縁仏じゃないのにね


納骨堂の内部、ガラス越しに会えた


納骨堂の裏、倒れたトイレ


今日はヘビーな内容だったけど、最後まで読んでくれて、イヤイライケレ〜。

ToyToy