ToyToy屋

ToyToy屋ストーリーVol 5

志保が札幌へ来て2人体制のToyToy屋になったが、現実は酷かった。固定電話もファックスもない、ましてやインターネットもない家に僕はいたのだから。それでも何かしなくては死んでしまう。僕等は行動するしかなかった。それが11年前だった。


最初に行動したのは、小樽運河でのストーリー販売だった。その当時の僕はお客様への声がけも、いらっしゃいませも言えなかった。過去の差別体験が現れ、頭を下げる事が出来ない弱い自分だった。


だが、勇気を振り絞って、お客さんに、いらっしゃいませと言ってみた。いらっしゃいませの一言で、弱い自分にさよならを言えた。やっと過去の差別体験から解放された気がした。人と触れ合う喜びを学んだ。


そして、芸術の森アートマーケットにも毎週出店し出した。そこで、No. 1アーティストって言われたけど、嬉しくなかった(笑)こんな所で止まっちゃういけないって事で、次は札幌スタイルに飛び込んだ。


札幌スタイルに飛び込むと同時に、2年で卒業する事を決めた。ダラダラ依存したくなかったし、正直、早く次のステップに行きたかった。それでも、素敵な出会いを多くもらった事も事実で、今も付き合いのある職人さんもいる。


札幌スタイルへ飛び込んだ頃に、ロイトン札幌さんから声がかかり、車もないのに、やります!やらせて下さい!って感じで、ロイトン札幌名物、朝の演奏販売会もスタートしたのだった。


札幌スタイルに入って、本物のデパートマンに出会い、多くを学んだ。今も学んでいる。ロイトン札幌へ飛び込んで、ホテルマン達から多くを学んだ。今も学んでいる。1人で飛び込み営業もできる様になり、YUIQへと繋がって行った。


この10年間での出会いが、ToyToy 屋を成長させてくれました。僕に札幌での居場所を与えてもらった。多くの出会いが繋がって、ToyToy屋を成長させてくれました。そんな訳でToyToy屋は、こんな時期ですが、次のステップへと飛び出します。


次回へ続く。



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今日も最後まで読んでくれて、イヤイライケレ〜



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